▣玄武の姿と北方七宿
「玄武」という言葉が初めて登場したのは、戦国時代の『楚辞』「遠遊」においてです。そして西漢時代の『淮南子』「天文訓」には、「北方、水なり。その帝は顓頊、その佐は玄冥、権を執り冬を治める。その神は辰星、その獣は玄武、その音は羽、その日は壬癸。太陰が四仲にある時は、歳星は三宿を運行し、太陰が四鉤にある時は、歳星は二宿を運行す。二八十六、三四十二、故に十二歳にして二十八宿を一周す。」と記されています。
ここでは、玄武の姿が明確に北方、五行、星体、四季、十干と結びつけられ、歳星が十二年で二十八宿を一周することが述べられており、その後の天文や風水地理などの理論の基礎となりました。
その後、王莽が創設した新朝には四神瓦当の様式が登場しました。瓦当は家屋の装飾として厄除けや護宅のトーテムとして用いられ、東漢時代には生活用具や墓室の壁画の図像にも深く浸透していきました。郝灘東漢墓室や西安交通大学東漢墓室の二十八星宿壁画には、虚宿と危宿が亀と蛇の図像と結びつけられています。
遠い昔の伝説では、夏の民族は北方に住み、顓頊帝を彼らの遠い祖先と見なしていました。顓頊の氏族トーテムは亀であり、その妻の氏族は蛇であったとされ、この二つが結合しました。さらに、東漢の明帝時代の『尚方獣帯鏡』には、「左龍右虎不祥を辟け、朱鳥玄武陰陽に順う。」という銘文が刻まれています。
これらのことから、東漢時代の文化において、亀と蛇が一体となった姿が玄武のイメージとして確立され、それが安寧をもたらす守護の信仰と結びついていたことが確認できます。
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