3月22日
昨日の未明、『荒涼手記』が各オンラインプラットフォームで予約受付を開始しました。
著者の後ろに連なる自分の名前を見たとき、まるでそれが自分のものではないかのように感じました。
私にとって、エッセイとは著者自身をさらけ出す文体であり、
詩人や小説家のように美しく、深く隠すことはできません。
しかし、文字が生まれ、私の内面から解き放たれ、
読者の目に触れたとき、それらは千差万別の姿を育み、
異なる魂の中で読まれ、解釈されていきます。
だから、著者の名前もそれほど重要ではないのかもしれません。
ただ、人生の岐路で私たちが巡り合ったとき、
文字が灯火となり、互いの行く道をわずかに照らすことができればと願っています。
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「あなたの肉体にとっての最後の旅路が
私の旅における唯一の風景だとしたら
これは私の最も荒涼とした
旅の手記となるでしょう。」
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書物の表紙にある生命の樹を撫でると、生命の樹が土壌の養分を吸い上げ、枝葉を広げ、葉が落ち、葉が朽ちて泥となり、生と死を経験し、最後に再び大樹の養分となる様子が見えました。生命はこうして絶えることなく続いていきます。
私たちの命もまた然りです。より広い視野で世界の様々な生命を見つめ始めたとき、私たちは皆、実は同じ場所にいるのだと気づくでしょう。私たちはあの樹であり、あの葉であり、私たちは皆、死によって生を得、生によって死を得ます。私たちは皆、生命の円を構成する小さな点であり、私たち自身が奇跡のような、美しい円なのです。
本書は三つの章に分かれています。第一章「荒涼手記」、第二章「私の魂は夕焼けの色」、第三章「島から来た子」。この三つの部分はすべて私の人生であり、人生の巡り合わせによって互いに繋がり、それぞれの部分が私の魂と世界を見る目を形作っているので、決して単独で存在することはできません。
この本が、帯にある「孤独な生命に捧げるラブレター」であるのはなぜでしょう?
それは、生命に対して、私が本書の中で祖母に語りかけたように、「本当は、別れの歌を書きたいのに、いつも、うっかり、甘すぎるラブレターを書いてしまう」からです。
「荒涼」もまた、一つの風景です。
知るべきことですが、最も美しい夜明けは最も漆黒の夜に続き、最も荒涼とした大地には最も美しい星空があります。生命には痛みがあるからこそ、光があるのです。
この手記は、私の祖母に、そして荒涼と豊かさが共存するこの人生に捧げます。
ありがとう。
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「荒涼手記」の内容は、主に私の祖母の人生の旅路の最後にあった、道中の風景を描写しています。それは私と祖母が共に歩んだ、唯一にして最後の旅でした。
「私の魂は夕焼けの色」では、私の故郷、そして現在の私の魂の姿を形作る様々な要素について語られています。そこには田んぼがあり、海があり、夕焼けがあり、風景はきらきらと輝く黄金色です。
「島から来た子」では、私がこの数年間、「旅」というものを入り口として、生命について深く思索した記録が綴られています。中でも特筆すべきは、「アイスランド記」が2015年に発行され、現在は絶版となっている私の自主出版物「島嶼記録誌 アイスランド」の内容を改稿したものであることです。
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「人生という名の長い旅の中で、私は得ては失い、喜びも悲しみも、痛みも幸福も、記憶も忘却も経験した。別れを拒んでも時間は前に進むしかなく、いつも惜しむすべてを、結局は手放さなければならない。
もしあなたが私と同じ道を歩み、同じ風景を見て、似たような感性でこの世界を感じたことがあるのなら、きっとあなたも私と同じように気づくだろう。生命と愛がこれほどまでに輝かしいのは、人間として生きる上で、最後には必ず孤独になるからなのだと。そして人は、この避けられない巨大な孤独の前に初めて、尊さを知り、愛を知るのだと。
縁の始まりには縁の終わりが伴い、終点があるからこそ始点がある。生命に欠点がないのなら、円満は存在しない。
揺れる列車の中で、窓に映るその顔は、何のために涙を流しているのだろうか?そうだ、欠点なくして、どうして円満があるだろう。生命の最大の痛みは、最も美しい痛み、そうだろう?
もし、もし最も美しい情景があるのなら、もし、もし最も美しい風景があるのなら、それはこれだろう。私の人生で最も美しい風景とは、このすべてを理解しながらも、懸命に笑い、また泣いている自分自身なのだ。」
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ここに、私の人生で最も美しい風景をあなたに捧げます。
文字の中で、もう一度巡り合いを経験しましょう。
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**目次**
**第一章/荒涼手記**
それは私たち二人にとって最初で最後の旅だった。
道中、あなたは私の手を引き、私が幼かった頃のように、私たちは共に歩いた。
旅の始まり
最も孤独な6月
私も家に帰りたい
もう一度尋ねて
別れを抱きしめる
愛を知るために
円満
時を超える日記 2017
生命の川
ある美しい存在
もう一度夕日
**第二章/私の魂は夕焼けの色**
誰も自分の育った土地から根こそぎにされることはない、
なぜなら人と土地の繋がりは魂の奥深くに根差しているからだ。
たとえ現実の故郷が様変わりしてしまっても、
心の中の故郷は決して変わらない。
魂の根源
15歳の恋文
17歳の夏の海に別れを告げる
転校
五十戸
五十戸の野菜売り車
大人になった
海岸通のアパート
旅の歌 — 満足
見知らぬ人が教えてくれたこと
**第三章/島から来た子**
遠くの山々、川、湖、海、歓声、そして音楽、もし故郷が呼ぶなら、すべてを手放してもいい。
世界は私に多くのものを与えてくれたけれど、それは私を遠方にばかり目を向ける人間にするためではない。
むしろ、この世界の遠方の一つ一つが、私を故郷を持つ人間にしてくれたのだ。
世界について
ロッキー山脈記
アイスランド記
すべての道程は風景 — ミャンマー記
無人駅
車窓の風景
一人で京都
電車に乗って海辺でキャンプ
旅の歌 — 帰郷
なぜならそれは同じ海だから
遥かなる旅路で
良い一年
あとがき/とても遠い場所
/
**編集者より:**
「人生には、一人でしか歩めない道がたくさんある。」
小さな書店を開き、
イラスト文具ブランドを立ち上げ、
自分で選び、好きなものに囲まれているにもかかわらず、
なぜか時々すべてを投げ出して、
誰も自分を知らない遠い場所に行きたくなる。
だから、山へと足を運び、一人でキャンプに行き、
アイスランドの荒野を歩き、ミャンマーの赤土の道をバイクで探し求め……
時には、何を探しているのか、何を見つけられるのかも定かではないけれど、
ただ一人でいるとき、本当の自分に戻れるような気がする。
自由奔放な彼女にとって、長年深く愛してきた祖母の老いは、最も受け入れがたい心の負担だった。
祖母が一度も訪れたことのない遠方へ行った時、飛行機の中の彼女は、
祖母のことを思うと涙が止まらなかった。
無力感に苛まれ、その時、彼女はひどく孤独を感じたのだ。
人々の群れと自己の間を漂い、
理想の追求と生命への戸惑いの間を行き来する、
一篇一篇の手記には、30代の女性の心に秘められた、遥かなる豊かさと荒涼が記録されている。
彼女の文章は、不思議と荒野の中に豊かさを見出し、人情の中に荒涼を読み取らせる。
「いわゆる運命とは、実は、自分自身が自分を連れて行く場所なのだ。
出発するか否かは、自分しか決められない。
一度旅立てば、この世界に真に遠い場所などなくなる。」
『荒涼手記』は時空に縛られず、
星月と宇宙の壮大さもあれば、最も痛み、最も惜しまれる絆もある。
若き世代の、他とは異なる視線と感性がそこには溢れている。
/
5月に書かれた。本が出版されてから2ヶ月後。
万物が静まり返る深夜にあなたのことを思い出すと、私は家から数千里離れたあの島に戻りたくなる。
広大な荒涼とした原野に佇むとき、そこで最も強く感じるのは、あなたと私の命がこの宇宙においてどれほど瞬間的で、どれほど小さな存在であるかということだ。同時に、私を慰めてほしい痛み、私が抗いたい苦痛は、命が必ず老いていずれは消え去るという事実そのものではないと、はっきりと理解させられる。
万物には時がある、私は知っている。もちろん知っている。私が本当に必死で抗い、自分自身を慰めたいのは、この事実に伴って生じる、生命におけるあらゆる必然に対するどうしようもなさなのだ。
あなたのことを思い出した、あなたの肉体が次第に衰えていくことを思い出した、だがそれは私を真に苦しめるものではなかった。本当に私を苦しめたのは、誰もがそれぞれ自身の人生を全うしなければならないと、私がはっきりと理解していること。それは、互いを深く愛し合う二つの魂が、それでもなお各自二つの人生を持たなければならないこと。それは、たとえ人がすべての時間を割いてもう一人のそばに寄り添ったとしても、生命の中に必然的に存在する孤独を、微塵も減らすことはできないということだ。
しかし、私が本当に痛みを感じるこれらの事柄を真剣に数え上げてみたとき、私に痛みとどうしようもなさを感じさせるすべてのことが、愛ゆえであることが分かった。愛しているからこそ、どうしようもない。愛しているからこそ、孤独である。愛しているからこそ、一人の生と死が自分にとって意味を持つ。そうでなければ、すべてはニュース速報の短い記事のように、一瞬で忘れ去られてしまうだろう。
人として生まれたからには、愛さずにはいられない。
愛さずにはいられないし、愛さないわけにはいかない。だから、たとえ「死」がこの世の人生を完遂するための避けて通れない過程であることをはっきりと理解していても、それでもやはり、やがて消えゆく肉体に悲しい涙を流さずにはいられない。
結局、私が本当に自分を慰めたかったのは、私がすでに知りすぎていたことなのだ。今日あなたが私を残していったように、いつか私も誰かを残していく。私たちは人を愛し、愛され、他者の去り際に傷つき、いつか、あなたを愛する人もまた、あなたの去り際に傷つくことになるだろう。これが人間の命なのだ。
荒涼を見たのは、私たちがかつて愛の中で豊かさを感じたからに他ならない。
曲がったり引き返したりできない、しかし必ず傷つき、痛みを伴うこの道で、私たちのこの心は、一体何に寄り添って歩み続けたら良いのだろう?思うに、私たちは皆、自分の心が、もう一度あの場面へ私たちを連れ戻す道を見つける方法を見つけなければならない。そして、現在の自分が、過去の傷ついた自分を癒すのだ。
だから私は、涙を流したあの時々を、文字の中で何度も呼び覚ます。その瞬間、心は再びあの情景に苛まれるかもしれない。しかし、大丈夫だ、と私は知っている。なぜなら、私は文字の中で、思い出の中で悲しみに泣く自分を慰める力をすでに持っているからだ。
私の心の中にある、私を苦しめ、そして私を幸福にするこの愛に感謝する。あなたがいなかったら、愛がなかったら、誰かに残されたり、誰かを残していったりすることに、何の意味もなかっただろう。愛がなければ、私たちの世界に意味など全く必要ないのだから。
だからありがとう、私の文字に、存在の意味を与えてくれて。
/
ISBN:
978986
5072971
仕様:ソフトカバー / 248ページ / 14.8 x 21 x 1.6 cm / 一般向け / モノクロ印刷 / 初版
出版地:台湾
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