こんにちはカエルの時計屋さんのデザイナーのOLIEです。
私は長野県の山に囲まれた場所に住んでいます。
カエルの時計屋さんは泡が入っていたり、波を打っていたり、色とりどりのステンドガラスを用いて、時の刻みが愛おしくなるようなまるで物語が生まれそうな手作りの腕時計を生み出しています。
ベルトを製作する父親、時計の雰囲気に合わせたフワフワクッションを製作する母親、写真動画を撮影するネパール夫、そしてそんな我々を天真爛漫に応援してくれる幼き娘達でこのカエルの時計屋さんは主に構成されています。
カエルの時計屋さんは現代のよく巷で言われるストレス社会、例えば・・・
・どんどん世の中から縛られていって息苦しくなっている。
・相手の顔色を伺い自分らしさを見失いがちになる。
そんな生きていて苦しくなる世の中に小さな抵抗をしてやろうと思い、全身で個性を強調する勇気はないけれど、シンプルな服を着ていてもチラッと見せる個性的フォルムな腕時計で自分の個を打ちだそう。そして苦しくて自分の視野が狭くなっているその一瞬を打ち破る、力の抜ける一瞬を作り出そうという思いで今手作り腕時計を作っています。
巷では流行の高級時計が出回っています。
腕時計はよく「権力の象徴」とも言われていて、男性とか特に権力維持をするかのように高級腕時計を身につけています。女性もブランドものの高級腕時計を身につけるとで周りに対して自己顕示ができます。ブランドものの高級時計でその人の価値を図る。しかもそういう時計は流行り廃りが早いので、新しいモデルが出てきたら次の新作を身につけて周りに見せつける。古い腕時計はブランド買取で売る。その人の価値は値段やブランドでしか測れないのかな。ちょっと窮屈に感じる時があります。
手作り腕時計はカチッカチッときっちり動く腕時計なのに遊び心があります。一定に刻む、かっちりしたものなのになぜか人の息遣いを感じることができます。ブランド買取などに持っていったらお引き取り不可か値段もつけられないようなものです。でもそんなお金では計れない価値を自分の中で見出して敢えて身につける生き方って逆にカッコ良くありませんか?
今ある人間社会での辛いことを和らげる瞬間、その瞬間を積み重ねていくことで、世の中俯瞰に見えて、高い山から遠く向こうに広がる小さな家々を見ると全ての物事がちっぽけに見える、まるで絵本世界の1ページの様な物語が始まりそうな心落ち着くこの腕時計を見つめながら、まぁまぁちょっとお茶でも飲んで肩の力抜きましょう♪みたいなリラックスした、時を作っていきたいなと思っています。
そもそもなぜこのステンドグラスを使った手作り腕時計を作るようになったのか、ちょっと長くなりますがOLIEの背景を話させてください。
■■ ガラスに魅せられた幼少期 ■■
まだ20年以上もの親に連れられて何気なく入った地元長野の昔からある喫茶店、ステンドグラスで彩られた窓から映し出される幻想的な光が私の座っているテーブルに映し出されて、その瞬間ただの何気ないひとときだったのが、カラフルで華やかな時間に変わりました。私はその美しさに心踊りたちまちガラスの虜になったのです。
■■ ガラスを使った創作活動 ■■
幼少時代はカタカタとミシンを踏んで服や雑貨を作る母の背後で時間が過ぎるのも忘れビーズで色々な立体物を創作する日々を過ごしておりました。ビーズの教本を超えてアレンジを加えたり、テーマに沿って自分で試行錯誤しながら作品作りをしていました。
■■ 腕時計への憧れ ■■
そして同時にOLIEは幼少期探検ごっこが好きな、男まさりな少女でした。腕時計はつけていて大人っぽくて「カッコイイ」象徴で一種の憧れがあったのかもしれません。縁日で親から買ってもらったおもちゃの腕時計を得意げにつけていました。
■■ 無言で友達を作れるツール ■■
高校生の頃内向的だったOLIEはそれでもちょっと面白い腕時計を身につけてひとり楽しんでいました。そんな時その時計に反応して話しかけてくれた子がいたのです。自然と友達ができ、会話を生み出していく腕時計、腕時計は自分が見たいときに見ることができるだけでなくさりげなく自分自身を表現できる道具だなと思ったのです。
■■ 手作り腕時計との出会い ■■
そんな学生時代、とあるマーケットで出会った飯田章先生が制作した青色のステンドガラスで出来た手づくり腕時計と出会いました。あの時の興奮は今でも脳裏に焼き付いております。大好きなステンドガラスと大好きな腕時計、そして何より誰も持っていない「私」が表現できるハンドメイド。私と手づくり腕時計の運命的な出会いです。でも当時の私はお財布の中空っぽで手作り腕時計を買うことができなかったのです。その日を境に私の頭の中はあのブルーのステンドガラスの腕時計が後悔と共にぐるぐる回っていました。なぜ、親を説得してでも買わなかったのか・・・。しかも皮肉なことにその後色々なマーケットに出かけてもあの腕時計には巡り会えなかったのです。
■■ これはもう運命だ!と思える出来事 ■■
私は「カエルの時計屋さん」といブランドで今は活動しておりますが、一番最初は「ふくろうの森」という名前で活動していました。れっきとしたふくろう好きです。なのでふくろうのハンドメイドの作品には本当目がなかったのです。ある日とある「ふくろう雑貨」の本を宝物のように読んでいました。そこで見つけたステンドガラスで作られたふくろうの置き時計。バイト代を握り締めて買いに行きました。ふくろうのガラスの置き時計を見つめながら大学生活を過ごしていたとあるマーケットで、50m程先の離れたお店にふくろうの置き時計がチラッと見えたのです。「置き時計作っていたご本人だ!」と喜び勇んで近づいていくと・・・その隣にあの時見ていたガラスの腕時計があったのです。・・・・まさか同じ作家さんだったとは!!!!!!!今まで出会えに出会えなかった時間とこのガラスのふくろうの置き時計とガラスの手作り腕時計のダブルでの出会いで一気に私の喜びは急上昇!
■■ ステンドガラスを使った腕時計を作り始める ■■
ステンドガラスの時計をはめてから今までつけていたどの時計よりも皆がハッと注目して知らない人からも声をかけられました。そして何より美しさと温かさが共存しているこの時計は時が刻むのが楽しく感じられてつけているだけで充足感が得られたのでした。ブレスレットのような鮮やかなステンドガラスの手づくり腕時計、だんだん自分で作ってみたくなってきました。飯田先生にお願いするも自分は教える立場ではないと断られ教えていただいた教室に通うも私には何か物足りない・・・それはステンドガラスではないことでした。ありったけのこの想いを伝えて続けて先生もしつこい私に根負けされたのか最終的にステンドガラスを使った腕時計の作り方を教えてくださいました。そこから私の手づくり腕時計の制作の人生がはじまったのです。最初は体験として習った私でしたがもっと作りたい、もっと作りたいという思いが抑えきれず、最初は機材も揃えることもできなかったので、そこら辺の砥石でガリガリステンドガラスを腕が痛むのももろともせず削っていました。時には寝ることも食べることも忘れてトントン金属を叩いて作っていました。販売し始めたのも作り始めてから半年。廃業した銭湯を使ったイベントにもう人に見せたくてドキドキしながら出展しました。
■■ 眠ることが怖いと思った日々 ■■
順風そうに見えるOLIEですが、辞めようと思った時もあります。手作り腕時計を10年くらい作り続けていたある日、百貨店での展示会中の朝起きたら世界がグルグル回り始めたのです。起きていられない。初めてのことでドキドキしたのですがどうにか体を休め休めでその出展は乗り切りました。それから何度もめまい、そして夜中に突然の腹痛で苦しむ日々。今考えると相当体に負担かけていたんでしょうね。寝てお腹が痛くなったらどうしよう、朝めまいで起きられなかったらどうしよう、不安な日々を送っていました。それと同時に腕時計を作る意義を見失いかけていたのです。
■■ 光を与えられた一言 ■■
そんな時とある展示会で一人の女性の方が、「OLIEさんの腕時計をつけていると本当幸せな気持ちになれるんです。だからずっと作り続けていてください!」とおっしゃってくれたのです。何か熱いものがこみ上げてくるのを感じました。迷っていたこの気持ちを誰かに言っていたわけではなかったのですが、必要な時に必要な言葉って来るんだなって思いました。ちなみにその頃からネットでの販売をスタートしていたのですが、顔の見えない私の腕時計を購入してくださって、その喜びのお声をたくさんいただく機会に恵まれたのでこれは私はやめるべきではない、私が作った腕時計が時間を見るそのー瞬に彩りを与えることができる。それならもっともっと身につける人の生活に彩りを添える私だから出来る腕時計を作ろうと思ったのです。もちろん体調管理をしつつ♪腕時計を試行錯誤しながら作るのは本当に幸せな時間です。でもそれ以上に幸せなのはそれを愛おしそうに手に取ってくれる人達に出会うこと。カエルの時計屋さんの腕時計によって、ほっと和らぎ腕時計を見るだけで笑顔が伝染していき、言葉の壁を超えて世界の人にニコニコが広がり、自然とコミュニケーションが生まれて仲良くなれる世の中になってもらえれば嬉しいなと思います。あなたにとって一刻一刻が1秒でも長く幸せに感じてもらえます様に。